2002.02.09-10 船上山〜甲ヶ山〜矢筈ヶ山〜大平原縦走

 船上山〜矢筈ヶ山は伯耆大山の北東部に位置する1200-1300mクラスの山塊である。派手で豪快な大山本体に比較して地味な存在で訪れる岳人は少ないようである。とりわけ厳冬期はそのような印象を受けた。連休というのに大平原に出るまで人影はおろかトレールさえもまったく目にしなかった。又、山塊の多くはブナ、ナラ等の落葉樹で覆われ冬季はどこにいても目に入るのは同じような光景だ。悪天につかまれば彷徨しかねない。心してかからねばならない、と改めて肝にめいじた山行であった。
 実は1983年正月、会の山行として船上〜弥山を踏破している。僅かながら記憶は残っていたがあまり役に立たなかった。当時は正月だから積雪も少なく天候に恵まれた山行だった。20年近く前の人間の記憶なんて曖昧模糊としておりあてにしないほうがいい。

 8日、20:15小倉発。庄原で高速をおり183号線経由で大山寺へ向かう。1:20大山寺着。スキー場経由の道は閉鎖されていたので大山口方面へ少し下り横手道に入る。途中、2ヶ所の通行止めの柵を越えて予定の船上山登山口に2:05到着。風は強いが雨(雪)の心配はなさそう。展望台の平地に設営。すぐ就寝する。ここは標高385mとの標識があった。

 9日、視界があり船上山の柱状摂理の岩壁が目前にある。すぐ近くの東坂登山口に移動、駐車し身支度整えて8時5分出発。よく整備された登山道を行けば30分ほどで船上山頂上の休憩舎に出た。標高は615.6m。なだらかな山頂は雪原になっている。緩やかな尾根に伸びた縦走路にトレールが続いている。ひょっとしたら、と思ったがやっぱり10分ほど行った船上神社でそれは途切れていた。

船上山の岩壁 船上神社〜勝田ヶ山へ続く樹林帯 一息入れる!

 靴がもぐる程度の緩やかな傾斜の樹林帯をのんびりいく。冬枯れの雪山、時折日も射しすがすがしく気分がいい。やがて雪はだんだん深くなり、風が出て雪が舞いガスが立ち込めてきた。標高1000m付近までうるさいくらいあった赤テープがチラホラ見つかる程度となり、やがて全くなくなった。勝田ヶ山へ続く稜線に出た頃は視界があまりなく風雪が強くなり、足元は時折腰までもぐり非常にあるきづらい。勝田ヶ山(1210m)で山頂の標識を確認、時刻は午後1時を廻っている。船上から勝田ヶ山まで4時間を要した。

 登るにつれ風雪が強くなり南に縦走する我々の右頬を絶えずたたく。睫毛に氷がつき目元がうるさい。テープや標柱といった人気の全くない稜線をひたすら漕ぐ。やがて岩稜帯、左右切れているので慎重に通過、更にやせた尾根を行くと尾根がすっぱり切れた岩壁の上に出た。甲ヶ山(1338m)である。前回は左をまいて下降した記憶がある。下降は先の見えぬ急な雪壁か、下部が岩壁になって急降下しているブッシュのついた支稜かどちらかである。この支稜に取り付き、ブッシュに切れたところから更に左壁のブッシュにすがって下りると急な雪壁に降り立つ。バックで20m程右よりに下降、尾根に出る。振り返ると圧倒的な高さで壁はそびえていた。勝田ヶ山の手前で休憩してから休んでいないので一本立てる。時刻は2時半を廻っている。


だんだん辛くなるラッセル 歩き難い稜線 右頬を打たれ続けながら進む

 次は2つのピークがある矢筈ヶ山。甲ヶ山とのコルからたかだか等高線5本の登りなのにヤケに時間がかかる。先頭の原田さんが腰まで雪に埋もれ格闘する。先方に薄く見えるブッシュあたりが山頂、と思いきやそこまで行くとまだ先がある。ブツブツいいながらラッセル続けるが、少し時間が気になりはじめた。稜線でのビバークは無理だ。早く安全地帯に入らねば、と少しあせり始める。

 やっと小矢筈ヶ山に到着、ブッシュ交じりの急な岩稜を下降、更に一登りで矢筈ヶ山(1358.6m)に到着。時刻は午後4時をまわろうとしている。山頂から視界に入る道なりというか尾根なりに進む。ここでミスをした。

甲ヶ山の支稜を下降、コルへ 矢筈ヶ山へ最後の急登 いつもは感激の霧氷だが・・

 弥山尾根でもそうであったが、自然は何かひとつプレゼントをしてくれるみたいだ。矢筈ヶ山からの尾根下降の途中で僅かな時間ガスがはれた。沢を隔てた右手に大きな山体、山頂直下にきれ落ちる岩壁で身を固めた山体が忽然と飛び込んできた。甲ヶ山だ!あわててマップと照合する。ルートが違う!見えなくなるはずの甲ヶ山が見えるはずがない。どうやら矢筈ヶ山からの下降で尾根を取り違えたようだ。どうするか?
出発して8時間以上経過し、時刻はすでに16:00を過ぎている。この積雪と天候で上り返してルートを修正しても大休峠までたどり着けるかどうか?今、現在かなり正確に位置を確認できた、今回はこれが自然のプレゼント!、と感謝する。


矢筈ヶ山から下降、ここでミス! 見えない筈の甲ヶ山が見える! 快適なビバークサイト

 縦走中止しこのまま下山しようと決める。大休にいける可能性は少ないが念のため下降ルートを左トラバースに変更、左へ左へ行く。目前に深い沢をはさんで大きな尾根が下りている。あの尾根の末端が大休であれば、と期待したがやっぱり大休はなかった。

 沢に降り立つ。雪が深い。ビバーク地を探すべく時折腰までもぐる積雪を掻き分け沢を下降する。沢近くまで樹林が迫っているので雪崩の心配はない。しばらく下降して右岸に台地を発見。すでに17時近いのでそこをビバーク地とする。標高は950mくらいか。夜は、運んできたわずか?ばかりの日本酒、ビール、ウイスキーを飲み行動食の残りとつまみ、そしてカレーを平らげぐっすり就寝した。夜は間欠的な降雪をみる。


 10日朝、視界がきく!部分的には青空も望めるではないか!ああ、こんなもんだよなあ、仕方ない、いまさら戻っては明日までに下山することは不可能だろう。それにしてもよく見ると周辺の樹林帯はすばらしい。昨夜来の新雪で枝を覆われ、純白の尾根に程よい間隔で立ち並ぶ様は、人気のなさも手伝い感動的だ。しかし再びここに訪れることはないだろうなあ、とため息まじりでテント撤収。

 今日は下山、のんびりして8:50出発。腰まで埋もれて左岸に渡り、尾根に上がる。きょうは見通しの全くない平原を行かねばならないのでコンパスを振りながらラッセルを続ける。方向を北北西に取り進む。テープ1ヶ発見。急に元気が出てきた。更に下降する。尾根末端近くなったので左の沢に下降するが水流がある。これが甲川の源流のようである。倒木を利用して渡渉、向かいの尾根にはい上がる。そこは緑の樹林帯、そういえば昨日下降時尾根から見えた樹林帯はこれか。このグリーンをはずさずしばらく行くとテープ発見。どうやら大休峠から川床へのルートに出たようだ。

10日林道目指して出発 こんな樹林帯が続く 倒木を伝って渡渉

 テープそって進むとテープは左の沢の降りている。我々は川床ではなく香取方面の林道に出るので沢に下るテープを左に見て下降を続ける。コンパスで北〜北北西を目指して進んだつもりであるが自然と歩きいいところをあるくので北により過ぎたようである。沢音が近くなったので転進する。左の沢に急下降、そして向かいの尾根を攀じ登る。と、なんとそこには大雪原が広がってるではないか。ほとんど傾斜のない平らな文字通り『大平原』が広がってた。

 遠くにスキー場のアナウンスが聞こえる。里が近づいてきた。方向を真西にとる。やがて木に塗られた黄色いペイント発見、更にテープ発見、間違いなく下降ルートに出た様である。テープの道標はもう1回沢に下り、明らかに登山道と思われる地形を越えて台地に戻っている。更に進むと遠くに2人連れの登山者を見る!。ルートファインディングはやっと終了である。よかったね、これで無事帰れる!


大平原を行く、進路は西 林道に出る! 香取付近遠望

 スノーシューズをはいて大平原をワンデリングしている2人と簡単に情報交換をし別れる。シューズ跡をトレースすれば更に2人と犬2匹、こちらはスキーを履いていた。犬がやたら元気に飛び回っている。やがて林道に出た。時刻は11時30分時、ここまでおよそ2時間40分を要した。

 すねまでもぐったり硬くクラストしたりして歩きにくい雪道をひたすら歩く。標高が下がるにつれ牧場か畑かわからないが真っ白な雪原が右に左に現れる。北海道をおもわせる広さである。時折風雪が舞う中てくてく歩き13時20分、香取(鹿取?)農協前に出た。

 もう一仕事残っている。車を取りに行かねばならない。近くの展望所のトイレに荷物をデポ、赤澤さんに留守番を頼み軽荷になって車道をまたひたすら歩く。途中から風雪が強まりフードをかぶって雪道を歩く。13時35分頃出発、船上山駐車場に15時20分頃到着した。

 香取農協前展望台まで戻り赤澤さんをピックアップ、デポ荷回収、赤崎経由で米子にで、ささやかな打ち上げと温泉(皆生温泉)で汗を流した。途中、9号線道の駅”きらら多岐”で仮眠後9号線をそのまま下り津和野〜小郡〜高速〜小倉のルートで帰北。小倉着3:50。

■参加メンバー:原田、赤澤、久保の3名
■マップは2万5000分の1がベターであるが、それでも樹林帯の細かい地形は読めないだろうと思う。目前にある光景のインパクトが強すぎて地図記号への抽象化が難しいためだ。尾根筋も視界が限られ雪がつくと下降ルート選定に迷う。10-20mの小さな切れ込みなどは地形図では表現されていない。やはり無雪期にトレースし分岐、下降点、等最小限のテープによるマーキングすることがベストだろう。勿論、山勘なければダメですが。
■船上山は、後醍醐天皇ゆかりの地であり、寺坊跡など史跡が多い。(Y.Kubo記)



船上山〜矢筈ヶ山登行ルート概念図

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