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会員の近況報告(〜2010.06)



  富士山 2010年 05月-06月

 5月〜6月にかけて、都合4回トレーニング山行を実行する。3回参加!もあり
  ・・・・備え万全です!
 マウントレーニエ遠征がんばりましょう!

■2010.06.26:富士山(富士宮登山口から往復) 【参加者:鉄井、西方、三栗、栗原、高木、以上5名】
■2010.06.12-13:富士山(須走口〜山頂往復、山頂ビバーク) 【参加者:赤澤、岡村眞由美、三栗、高木、以上4名】
■2010.06.06:富士山(富士宮口から往復) 【参加者:三栗、西方、栗原、久保、以上4名】
■2010.05.22:富士山(富士宮口から往復) 【参加者:赤澤、高木、西方、岡村眞由美・繁雄、以上5名】

2010.06.06 富士宮口から往復

 6月5日早朝、北九州出発。15時ごろ現地入り、2時間ほど登りビバークの予定だが・・・・いつもながら思い通りには行かない。確かに、ドライブは順調で、15時には富士宮登山口に到着したが、あたりはガスで視界わずか、おまけに肌寒い!・・・・3000mあたりでツェルト被ってビバークなんて!・・・厭だね、ということで意見がまとまり、明日早朝!といっても夜中2時ごろ出発、日帰りすることで話が決まった・・・・・・というわけで5月と同じ東屋で小宴会を催し、明日の準備をして早めに就寝する。

夜中の出発に備えてしっかり飲んで食べる!


 夜中1時過ぎ起床、登山口へ移動する・・・・なんと駐車場は結構盛況である。ちょっと予想外であった。テントも数張り。少し離れた所に駐車、準備をして出発する。時刻は、2:45である。まだまだランプの明かりが必要だ。
 登行路は特に危険個所はないので、ひたすら足元を確認しながら登るだけだ。4時近くなると東に空が紅色に染まり夜明けを迎える。幸いなことに西の空にうっすらと影富士を見ることができた・・・もうひとつ富士山があるように見える。やがて7合目に着く。

2:45出発 夜明けに浮かぶ宝永山のシルエット
もうひとつの富士山?影富士 明るくなり気分爽快です(時刻:05:07)
7合目から8合目の小屋を望む。あと200mくらい。8合目(3220m)直下くらいから残雪を踏むようになる


 8合目。ここには診療所兼避難小屋?がある。ここから頂稜までは残雪を踏むことになる。右から回り込んで小屋の上部に出ると頂稜が以外と近くに見えるが、頂稜直下にいる先行者は限りなく小さい・・・・・残り500mだから皿倉山一本、がんばりましょう。残雪は堅いのでアイゼン装着・・・・・時刻は、6時を回っている。出発して4時間ほどだから、まあまあのペース!


衛生センターのある8合目 8合目から残雪期の山になる。頂稜は近くに見えるがあと500mある
 
 8合目から広大な雪原が広がる。Slow & Constant で登行すれば9合目小屋。頂稜は眼前にある。
一息入れて最後の登りにかかるが、この最後は傾斜もあり部分的に氷化しているので結構きつい。7:45、出発して5時間で頂稜に到着。お疲れ様です。

8合目から9合目を目指す・・・広がる雪原の登行は爽快だが、少し息苦しい。9合目で一息入れる
頂稜への最後の登り。はるか下方に登山口の駐車場が望まれる

 ここまでは南面だったためさほど風が強いと思わなかったが、頂稜に出ると北西の強風がまともに吹きつける。気温も低く、寒い!風の弱い所ないので20分ほど歩きまわって、08:10頃下山にかかった。少し下降すると風は収まる。

 スリップに注意してのんびり下る。9合5勺あたりから振り返ると目の覚めるような紺碧の空が眩しい! いいねえ!・・・・この一言で十分だ。

 
頂稜は、風が強く肌寒い!ゆっくりできる所がないので早めに下山にかかる
9合5勺あたりから振り返る・・・・紺碧の空が眩しい!
山頂が望める新6合目あたり 10:45到着!お疲れさまでした


10時45分、登山口到着。ちょうど8時間の山旅でした・・・・・・お疲れ様!

■■■ Report & Photo presented by Y.Kubo ■■■


2010.06.12-13 富士山山行短信

12日 須走口AM8時ごろ出発、ボッカ山行約7時間で山頂到着
13日 4:30 最高の日の出を見ながら山頂スタート約3時間で下山、風呂を探してふじやま温泉の朝風呂500円企画をゲット
http://www.fujiyamaonsen.jp/
入浴後、溶岩ステーキを堪能し、帰北。
ステーキセットは2000円にアップしたものも肉厚もアップ!

★2週連続の富士山。
ゆっくり、ゆっくり登り、なんとか一泊する事が出来ました。
富士山での、初めての御来光も拝めましたし、噂に聞いていた溶岩ステーキやしいたけ茶・・・
初めてずくしで、嬉しい山行でした。(S.Mikuri)



2010.05.22 富士山山行短信

 21日19時出発直後の天気予報で、23日は、静岡90%の降雨予想であったため、22日軽装で富士宮口よりピストンしました。
風もほとんどなく、空荷のため多少の時間差は、ありましたが5時間前後で山頂到着。
山頂で、1〜2時間滞在後、下山。
公園のあずま屋にテント泊、4時起床直後より、雨がぱらつきはじめ、そうそうに帰北。 みなさんお疲れ様でした。



■■■ Photo presented by S.Okamura & K.Akazawa ■■■



三栗です!神戸六甲山に行ってきました。
(2010.05.04)


魚屋道(ととやみち)にて、単独。
甲南山手駅〜東お多福山〜蛇谷北山〜六甲山〜有馬温泉下山。

今年のゴールデンウィークは、何処もお天気に恵まれ良かったですね!六甲は、アケボノツツジも咲いてて、歩きやすい良い山でした。 アップダウンがあり、うろうろすると結構疲れます。

 山頂の一軒茶屋で飲んだビールが最高でした!!


JR甲南山手駅で下車。住宅街を歩いて、
登山道を目指します。(09:15)
09:45、蛙岩。どこらへんが蛙なのか?
1周回ってみましたが、分かりませんでした。
ここまで、2組の登山者しか見ていません!! 人気の道らしいのに・・・
【写真右!】
標識はありませんが、どちらもしっかりテープがあります。初め左に曲がって行きましたが、道はしっかりしているものの、何か変?!
引き返して、右に行ってみました。こちらが正解です。私にも山屋の勘みたいなのがあるのかと、少し感動!!

【写真中】このおたずね者がいづれ・・・・・
【写真右】10:20、風吹岩。 いきなり人が増えました。
芦屋駅で降りて、ロックガーデン経由で登って来る人が多いみたいで、ここで合流します
ロックガーデンの方角 例のおたずね者
【写真右】ゴルフ場があるので、イノシシ避けの網が付けてあります
水場 11:05、雨ヶ峠ここから六甲山まで、1時間程で着きますが、まだ時間が早いので遠回りしてみました。 東お多福山へと続く道
11:30、東お多福山 トンネルみたいになっています。
とっても静かでいい道でした。
12:10、芦屋市最高峰の蛇谷北山。
せまいっ!! ちょっと残念な山頂でした。
六甲山頂近くになると、道路の横を通ったり、
横切ったりします
12:50、六甲山頂

軒茶屋でビールを注文すると、瓶ビールとジョッキが出て来た。
これを女一人で、手酌しでグイッと飲む。
 
 ぷぁー!!って感じで最高ですが、前にいたおじさんが目をパチパチ!させて見てました。正直、ちょっと恥ずかしかったです。
 よーく見ると横に缶ビールがあるではないですか。あらら・・

 気持ちよくなったら、あとは有馬温泉に向かって下山です⇒⇒⇒
有馬温泉。1時間程で着きます
金の湯でさっぱりしました
おまけのイタリアン!

たまには、お一人様もいいもんですね! ぶらーっと行きたいとこに行って・・・

■■■ Report & Photo presented by S.Mikuri ■■■

六甲山に関する資料


近代登山発祥の地


 江戸時代までの登山は 山を『ご神体』として山頂を訪れる信仰登山が多かったが、六甲山にはそのような大きな信仰対象は無かった。しかし山の北側には有馬温泉があり、海岸の漁港から温泉街に新鮮な魚を運ぶための「魚屋道(ととやみち)」が山頂のすぐ横を通っていた。魚屋道の休憩所として山頂近くに「一軒茶屋」があって、現在でも登山者の憩いの場として営業している。

西洋式の登山としては、1874年に、ガウランド、アトキンソン、サトウの三人の外国人パーティが、ピッケルとナーゲルを用いたいわゆる近代登山を日本で初めて六甲山で行った。ガウランドは1881年に槍ヶ岳と前穂高岳に登山して「日本アルプス」を命名した人物で、サトウは富士山に最初に登った外国人としても知られる。

1910年には日本初の社会人山岳会である神戸徒歩会が結成された。また1924年にヨーロッパ帰りの藤木九三らによって結成されRock Climbing Club(RCC)は岩山である六甲山を活動の場として、日本の登山界に初めてロッククライミングを紹介する役割を果たした。加藤文太郎も所属した山岳会である。

縦走

 六甲山の東西に長い山系を縦走することも登山コースとして知られている。この縦走路は、加藤文太郎ゆかりのコースである。神戸市主催大会での縦走路は須磨浦公園(神戸市須磨区)から宝塚駅(宝塚市)までの約56kmである。毎年、六甲全山縦走大会が開かれる。
 
 11月に神戸市主催の大会が、3月第2日曜日に兵庫県勤労者山岳連盟主催の大会が、3月最終日曜日にヒヨコ登山会主催の大会が開かれるほか、企業や個人で行われることも多い。大会に参加すると、前の人を抜けない細い道が多いため、縦走時間は10〜15時間以上。大会では難しいが、中には六甲56kmを6時間程度で走りきる猛者もいる。
 
 神戸市主催の11月の大会では走ることが大会ルールで明確に禁止されているが、昨今のトレイルランニングブームの為か、このルールを守らない者が多く見受けられ、トレイルランナーのマナー低下が懸念される。


六甲全山縦走路
 六甲山系西部  
 起点:須磨浦公園駅前 - 鉢伏山 - 旗振山 - 鉄拐山 - (高倉台住宅地) - 栂尾山 - 横尾山 - 東山 - (横尾住宅地) - 高取山 - (丸山住宅地)
 六甲山系中央部  
 鵯越駅前 - 菊水山 - 鍋蓋山 - 再度山 - 摩耶山(掬星台) - 摩耶別山 - 六甲山上 - 六甲山(最高点) - 後鉢巻山 - 石宝殿(東六甲分岐点)
 六甲山系東部  
 東六甲分岐点(主道から逸れて尾根道へ)- 水無山 - 船坂峠 - 大平山 - 岩原山 - 譲葉山 - 岩倉山 - (宝塚市街地) - 終点:宝来橋(宝塚駅手前)

その他登山道
 六甲山系の登山道は無数にあり、多くの主要な道は名前がつけられている。現在、最もポピュラーなハイキングルートは、芦屋川からロックガーデン、東おたふく山を経由して最高峰に至り、有馬温泉に下るものである。
 魚屋道
 (ととやみち)


 古くから使われてきた横断路である。阪神側から有馬温泉へと抜ける最短の道であり、温泉街へ瀬戸内海の新鮮な魚介類を届ける魚屋が使用した道であることから、この名前がある。全長12km。
 起点:東灘区深江 - 風吹岩 - 六甲山最高峰 - 有馬温泉

 石切道
 (いしきりみち)

 六甲山の花崗岩を石材として切り出して運搬した道である。切り出した石材を加工した川原の加工場が、石屋川であり、そこで加工した石材が御影浜から積み出されたため、御影石の名称が生まれた。住吉川 - 六甲ガーデンテラス
 徳川道
 (とくがわみち)


 慶応3年(1867年)に開通した、西国街道の迂回路。兵庫港が開港されたことにより、外国人との不都合な接触を恐れた幕府が作ったため、徳川道の名がある。全長34km。
 西国街道 - 石屋川 - 護国神社 - 杣谷 - 摩耶山裏 - 森林植物園 - 北区鈴蘭台小部 - 白川 - 高塚山 - 明石市大蔵谷 - 西国街道

 Shrine Road


 別名、唐櫃道(からとみち)・行者道。江戸時代の北摂と灘を結ぶ間道。当時、辻斬りや夜盗が横行したため、道中の安全と行商の商売繁盛を祈願して、石仏が多数安置され、行者堂と呼ばれる堂が建立された。明治以後、神戸外国人居留地の外国人たちが、この道をハイキングした際に、多くの祠にちなんで、シュラインロードの名を付けた。北区唐櫃 - 六甲山 - 灘区

 Ice Road


 六甲山頂付近の池畔にあった氷室に貯蔵された氷を運搬した道。後世、アイスロードと称せられるようになった。
 六甲山ホテル - 六甲ケーブル下駅

 Twenty Cross
 布引谷の渓流伝いに左岸と右岸とを渡り返すことが20回に及ぶことから、この名がある。現在は布引ダムが完成し、ハイキングコースも整備されているため、渡り返すのは数回になっている。市ヶ原 - 布引谷


◆◆◆ Reference:  Wikipedia ◆◆◆


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